概 要
共進会が、福岡市の近代都市および九州の中枢化に成長する出発点であり、基礎。
そのシンボルとしてのモニュメントが旧福岡県公会堂貴賓館。
旧福岡県公会堂貴賓館は那珂川と薬院新川が合流する三角州の先端、西中洲の一角に建てられました。その目的は明治43年(1910年)に開催された第13回九州沖縄八県連合共進会の来賓接待所として使用する為でした。
九州沖縄八県連合共進会とは、同業者の見識を開発し、物産を比較してその改良発達を図るのが目的で企画され、第一回明治15年の長崎に続き鹿児島、熊本、佐賀と催され、第五回目が20年春初めてこの福岡で行われました。この建設の設計・監督は福岡県土木部技師であった三條栄三郎であり、竣工された明治43年4月には閑院宮御夫婦の宿泊所として利用されたほか、共進会開催中は来賓を接待しての夜会が開催されていました。共進会終了後は県の公会堂として一般市民に利用されていましたが、戦後は福岡高等裁判所、 福岡県農林事務所などに転用され、昭和31年11月以降は福岡県教育委員会庁舎として使われています。

- 当時の様子

- 創建当時の配置図
- 当時の様子
- 創建当時の配置図
その後、福岡県庁新設の移転に伴って教育委員会も昭和56年に移転し、その跡地は都市計画公園「天神中央公園」 の一部となることから、跡地内の諸施設は取り壊しが決定となりました。
しかし、旧公会堂のうち貴資館だけは数少ない貴重なフレンチルネサンス様式の木造建築物として重要文化財に指定され、公園施設として活用されることに。現在では、「河畔に建つチューリップ屋根の公会堂」として、広く県民に親しまれています。
フレンチルネサンス様式
15世紀にイタリアのフィレンチェで始まったルネサンス(文芸復興) は、建築の世界にも広がり、16世紀にはフランスの建築界にもその影響がおよんだ。 このフランスルネサンス様式は、急勾配の屋根、ドーマー窓 (屋根窓)、角の 円形塔、水平方向の線を強調じた外観などを大きな特徴としている。(代表的な建物 フォンテンプロー宮殿、シャンポール城、ルーブル宮殿)
重要文化財指定に至る経緯
福岡県庁舎の東公園への新築移転に伴い、貴賓館も壊され、跡地は 都市公園 「天神中央公園」の一部になることが決まっていました。
しかし、市民で結成された「旧教育庁舎現地保存期成会」が街頭署名やシンポジウムを開いて保存を訴えたことなどから、昭和58年春、集会所を除く貴賓館だけを現地に保存することが決定しました。
それから文化庁へ重要文化財指定申請書を提出し、”数少ない明治時代の 木造公共建築の遺構として貴重”との答申で、昭和59年5月に国の指定を
受けることとなりました。
外観について
貴賓館は木造2階建ての洋風建築です。北側正面中央に石柱による玄関ポーチを突出させ、北東隅に八角塔屋を張り出し、南側背面には平屋建の浴室や洗面所等を付接して、南東の隅2面にはベランダを回しています。外壁は1階窓下からの腰壁は白い化粧タイル貼り。また、1階モルタル壁には目地を入れ、2階窓額縁や軒蛇腹を木骨下地のモルタルによる造出しにすることで、外観を石造に擬してます。屋根は中央部に陸屋根を設けた寄棟形とし、八角塔屋は尖塔です。当初は天然スレート葺であり、暖炉のレンガ 積煙突も突出してましたが、現在それらは失われて鉄板葺となっています。
設計者について
ご本人のお写真
- 三條栄三郎(1872年−1935年)
- 山形県出身
明治31年(1898)に蔵前高等工業学校教員養成所を卒業した後、仙台、 熊本、
福岡の各工業学校の教員として勤め、佐賀県庁を経て明治41年(1908)に
福岡県土木部の建築主任技師として着任。福岡県には15年在職しました。
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在職中の(現存する)主な建築物
▷明治天皇福岡県庁内行在所(現 県立明善高等学校同窓会館)
▷福岡県立中学校(現 県立福岡高等学校本館)
▷太宰府天満宮桜門
▷英彦山神社本殿(修理)・・国指定重要文化財
▷筥崎宮拝殿・桜門(修理)・・国指定重要文化財
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在職中の(現存する)主な建築物
▷明治天皇福岡県庁内行在所(現 県立明善高等学校同窓会館)
▷福岡県立中学校(現 県立福岡高等学校本館)
▷太宰府天満宮桜門
▷英彦山神社本殿(修理)・・国指定重要文化財
▷筥崎宮拝殿・桜門(修理)・・国指定重要文化財
小柄な体格でしたが、工事は厳格であり、よく職人を叱ったので「カミナリ」のあだ名がついていたとか。
しかし、若い人の面倒をよく見、教職を辞してからは優秀な建築家の卒業生に対して奨励金を送ったり学資をだしていたそうです。また、自宅の空き部屋を部下に開放もしたという厚い人情を持った人物でした。